嵐山といえば華麗で優美、公達(きんだち)の憩いの場という印象が強いのですが、実は江戸の初めに、一人の骨太な実業家が活躍した場でもありました。
水大名といわれた角倉了以は、高瀬川など何本もの川の開削工事を手がけ、朱印船(しゅいんせん)貿易にも進出しました。川の開削はどれも非常に困難な工事で、新事業への周囲の抵抗も強いものでしたが、彼は持ち前のフロンティア精神で次々と挑戦していきました。その原点が亀岡から嵐山までの大堰川開削事業です。
遺言によって作られた了以の木像が大悲閣に安置されています。法衣に石割斧、立ちひざ姿の老人の眼光は鋭く、今もなお気迫が伝わってくるようです。
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