| 「言い伝え」の楽しみ方 西京にはさまざまな言い伝えが残りますが、 その地を訪ねてみるのも興味深いものです。 |
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かぐや姫で知られる「竹取物語」の舞台には諸説ありますが、大原野が最有力地といわれています。特に、かぐや姫に求婚する五人の貴公子のひとりで、姫から「天竺(てんじく)の仏の石の鉢」を求められた石つくりの御子(皇子)が、大原野説のよりどころのひとつです。石作氏は大原野を支配していたといわれ、大原野灰方町(はいがたちょう)から小塩町(おしおちょう)への途中にある大歳(おおとし)神社には石作神社が合祀されています。同名の神社のなかで唯一従五位下(じゅごいのげ)に叙位されていることが、石作氏の大原野支配を推定する根拠とされています。 泥棒除けの阿弥陀さま
樫原(かたぎはら)にある高圓寺(こうえんじ)は「泥棒除(よ)けの阿弥陀さま」で知られています。昔この寺に入った泥棒が、盗んだ本尊を背に門まで来たところ急に動けなくなり、翌朝寺に帰った住職が驚いて、泥棒も懺悔したので本尊に許しを祈願したところ、ようやく怒りが解けたといいます。この阿弥陀如来立像は慈覚(じかく)大師による平安初期の作と伝わります。
ひきずり権現(ごんげん)さん
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| 平安の曙 ―桓武天皇ゆかりの地― |
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本来なら傍系で皇位とは縁遠い存在だった山部王は、光仁天皇正妃の皇太子の廃位によって皇太子となり天応元年(781)、桓武天皇として即位。延暦3年(784)の長岡京遷都(せんと)には、母の出身地に近いことも作用したのではないか、との指摘もあります。 大枝陵に近い宇波多(うわた)陵には、桓武天皇夫人の藤原旅子(たびこ)が眠っています。旅子は長岡京遷都の2年後に桓武天皇の第三皇子、後の淳和(じゅんな)天皇を出産しています。
大原野の背後にそびえる小塩山山頂には、静かな森のたたずまいのなかに淳和天皇陵があります。また小塩の十輪寺(じゅうりんじ)に隠棲したとされる在原業平(ありはらのなりひら)は、桓武天皇の孫にあたります。 こうして大枝、大原野は、桓武天皇とのゆかりがとても深い地といえるでしょう。
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| 文学との出会い旅 | |||||||
『枕草子』は第269段で「神は」と書き起こし、まず「松尾(まつお)」をあげます。松尾(まつのお)大社は、上賀茂(かみがも)神社とも伝承が似る京都で最古の神社のひとつです。 清少納言がさらにあげる「大原野」は大原野神社。春日大社から分祀した藤原氏の氏神が祀られているため、平安期には大原野神社へ参詣することが重要な行事となり、大原野では王朝絵巻が繰り広げられます。『源氏物語』の「行幸(みゆき)の巻」には、大原野行幸の様子がその順路とともに描かれているほか、『古今集』などに収められた和歌にも数々歌われています。 『伊勢物語』81段などに描かれる塩焼きは、海水を焼いて塩にする当時の風流のひとつといわれますが、物語の中心人物とされる在原業平も、隠棲した十輪寺でこれを楽しんだと伝わります。十輪寺の裏山には塩竈の跡とされる地形が残り、竈が復元されています。
近年では、大仏(おさらぎ)次郎の『宗方姉妹』に松尾大社が描かれ、西芳寺には同『帰郷』の一節を刻んだ文学碑があります。
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| 洛西観音霊場札所巡り | |||||||
西京区に札所は19寺。該当寺院はエリアガイドなどでも紹介しています。その他の主な寺院を紹介します。 第4番西迎寺(075-331-0124)は南春日町の小道を登った上にあります。戦国期の戦乱で滅びた長沢市政(いちまさ)の菩提を弔うため天正4年(1576)、その城跡に建立された寺院で、春日観音を安置しています。参道には当時の石垣が残ります。ここの先代長沢慧学住職が、保存されていた観音霊場の資料を発見したことが再興につながったといいます。 第25番阿弥陀寺(075-381-6014)は阪急桂駅の西、千代原口の住宅街のなかにあります。本尊千手観音菩薩立像のほか、先代住職の手による二千体余りの観音像がところ狭しと安置されています。なかでも4メートルの千手観音像は、車など現代的なものを手にしていてユニーク。住職兼務につき拝観には事前連絡を、とのこと。
洛西観音霊場札所巡り事務局 楊谷寺 長岡京市浄土谷(じょうどだに)堂ノ谷2 tel:075-956-0017 |
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