嵐山から松尾大社へと、桂川沿いの爽快な散策を楽しむ
 
大堰川
遊覧船での舟遊び
大堰川沿いを大悲閣千光寺へ
 阪急嵐山駅を出て正面ロータリーを抜け、中ノ島公園を右に見て舗装された道を左へ進みます。すぐに保津川下り観光船陸揚げ場が見え、正面に5世紀ごろ秦氏が行った大堰川(おおいがわ)の灌漑事業を伝える「一ノ井堰(いちのいのせき)碑」が立っています。そこから10メートルほど先の三叉路を右へ、檪谷宗像(いちたにむなかた)神社方向へと向かいます。
 川を行き交う保津川下りの観光船や屋形船を眺めながら、かつては「大悲閣道」といわれた大堰川沿いの道を進みます。しだいに木立が深くなり道を上り下りすること約15分、途中の峠では小説「滝口入道」にも登場する深淵千鳥ヶ淵を右下に見ることができます。行き止まりが大悲閣(千光寺)の参道入口。ここからさらに山肌を削って造られた参道を、清水のせせらぎを耳に登ります。角倉了以が愛したといわれるここからの眺望は、山と川のコントラストが美しく、思わず息をのむ絶景です。
松尾駅前 鳥居のある風景

嵐山から松尾橋
 一ノ井堰碑の先まで戻り、今度は砂利道に入って中ノ島橋の手前を右に折れると、桂川サイクリングロードの起点の標識が見えます。ここからは、左に川の流れと対岸の町並み、右に嵐山東公園のよく整備された芝生や、エノキ、カエデなどの木立を楽しみながらの道行きです。途中、公園やサイクリングロードで思い思いに楽しむ人たちに出会います。そうした人たちの穏やかで晴れやかな表情も、ここの風情のひとつでしょう。
 松尾橋が見えてきたら、公園を横切って土手を上がります。左に松尾橋、正面には阪急松尾駅、そして右に行けば松尾大社です。社は、松尾山を背景に、鳥居の朱、桧皮葺の茶、美しいカーブを描く社殿の屋根など、華やかな中に厳かさが。また社務所裏を流れる御手洗川の水が霊亀ノ滝から石清水となって青銅の亀の口から湧き出ており、これが亀ノ井の水という名水です。酒造りの神としても信仰を集め、神輿庫には全国の酒造家からの酒樽が奉納されており、亀ノ井の水は酒造りの元水にも使われています。

上野橋を経て上桂へ
 松尾橋に戻り、再び川沿いのサイクリングロードに入り上野橋(かみのばし)へ向かいます。途中、川岸から少し離れ自動車道のすぐ脇を歩く部分があるので注意が必要。上野橋の鉄橋をくぐり小さな三叉路を右へ。もう一度鉄橋をくぐり車道に出ます。これを横断し直進。緩やかな坂道を下りきった角に観世寺(かんせいじ)への道案内があり、そこを右折、すぐの二股道をさらに右に行くとすぐに観世寺(かんせいじ)があります。
 先程の道案内まで戻り右へ。住宅地の中を歩き、次の三叉路を左へ行くと交通量の多い通称梅津街道に出ます。この道を上桂方面へ。途中、桂川小学校辺りでカーブしており、交差点を左折するような感じで進みます。12、3分で上桂西居町(にしいちょう)の点滅信号の交差点に。ここを左に曲がれば御霊(ごりょう)(上桂御霊)神社の鳥居が見えてきます。御霊神社からさらに進むこと約3分、阪急上桂駅に到着です。

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大悲閣への参道 桂川サイクリングロード
一ノ井堰碑 亀ノ井 御霊神社付近


 


 「虚空蔵(こくうぞう)さん」から山ぎわの細道を、「鈴虫寺」「苔寺」へと辿る
 
阪急嵐山駅前
渡月橋から松尾へ
 景勝の地として名高い嵐山。平安朝の昔から都人たちが山荘を構え、ゆったりと流れる大堰川(おおいがわ)で舟遊びを楽しみました。また、嵐山から松尾にかけての一帯は渡来人秦(はた)氏との関係が深く、多くの足跡を辿ることができます。
 阪急嵐山駅から駅舎右手の道を通り、川中に浮かぶ中ノ島公園を上流へそぞろ歩いて渡月橋へ。京福嵐山駅からは、前の道を左折すると渡月橋。
 大堰川右岸を少し上流へ行くと櫟谷宗像(いちたにむなかた)神社、嵐山モンキーパークいわたやま。道なりに左へ進めば、虚空蔵山中腹に法輪寺があります。十三詣(まい)りをすませた子どもたちは、渡月橋を渡りきるまでに振り返ると授かった御利益を失うとされています。法輪寺を過ぎると、道は左へ曲がりますが、直進方向に山寄りの細い道、旧松尾街道が見えています。旧街道を南へ行くと、右手に西行ゆかりの西光院が、ほどなく洛西観音霊場第二八番札所、尼寺の蔵泉寺(ぞうせんじ)(庵)があります。
 住宅街の道が続きますが、屋根の向こうには山が間近に迫っています。山田橋を渡り、桂川の水を引いた一ノ井川の左岸を進むと、右に「はしご地蔵」の薬師寺があります。やがて右手に見えてくるのが、松尾山を神域とする松尾大社喜多門(きたもん)です。塀沿いに歩いて、朱塗りの大鳥居の前に出ます。ここまで40〜50分ほど。鳥居をくぐると左手がお酒の資料館です。酒造りの道具や酒造法、お酒のラベルなどが展示されています。
「鈴虫寺」への表示

松尾大社から地蔵院へ
 松尾大社からは、東海自然歩道を歩きます。道標にしたがって山裾を辿ると、右手に松尾七社のひとつ、月読神社があります。照葉樹林に囲まれてひっそりとしていますが、京都でも有数の古社です。
 ここからは住宅地の入り組んだ道ですが、こまめに道標があります。それらの表示にしたがって月読神社寄りの道を行くと「鈴虫寺まで200メートル」の表示があります。そのすぐ先が最福寺(延朗堂)です。俗に谷ヶ堂(たにがどう)と呼ばれた最福寺は、七堂伽藍(がらん)をそなえ、49院をもちましたが、南北朝の戦乱に巻き込まれ、応仁・文明の乱などで炎上して廃絶し、今はこの小堂を残すのみとなっています。
 さらに道なりに進めば、華厳寺(鈴虫寺)の石段下に出ます。華厳寺は、先に触れた最福寺の旧地に建っています。華厳寺を背に少し歩くと、西芳寺川が流れています。中世には、この西芳寺川流域を「谷」と称しました。西芳寺川を渡り、正面の道を右折すれば、池大雅美術館、苔の美しさで知られる西芳寺へ。道をはさんで右前方がバスの大駐車場です。道標に従って駐車場手前の石段を上がって行くと、谷の地蔵、竹の寺とも呼ばれる地蔵院があります。一休禅師が幼少の頃に修養したのが、この寺だといいます。

史跡・天皇の杜古墳
全長86mの前方後円墳。5世紀前半の築造当時の墳形をよくとどめる、市内現存最古の古墳です。

山田から天皇の杜古墳、樫原へ
 山田付近は5世紀から6世紀前半にかけての首長墓域だったと考えられますが、穀塚(こくづか)、清水塚、うぐいす塚など多くの古墳が開発にともなって消滅しています。
 地蔵院からすぐの辻を左折すると、「山田岐れ(わかれ)」交差点、「山田口」交差点を通って阪急上桂駅へ向かえます。右折すると、稜線を辿って亀岡へ向かう唐櫃越(からとごえ)です。ここを直進し、国の登録有形文化財、山口家住宅を右に見てさらに南へ。やがて右に京都桂病院、左に松陽(しょうよう)小学校が見えます。さらに進み、京都市広報板がある地点で、道をはさんで左前方に広見寺(こうけんじ)を見て右折します。住宅街の坂道を上ると、お茶屋山登山口近くに染殿地蔵尊があります。坂道を国道9号へ向けて下り、「塚ノ越町」交差点を渡ると史跡・天皇の杜古墳です。
 古墳入口横の、国道から分かれている道を進むと、三ノ宮バス停手前の左角に「樫原宿場街と札場」の案内板が立っています。左折し、宿場街の面影を残す旧山陰街道を東へと向かいます。樫原本陣跡を左に見て、さらに行くと、樫原交差点手前左に「勤皇家殉難之地」碑、右に年貢米を集積した郷倉(ごうくら)があります。この一帯約18ヘクタールが、2001年に京都市の「界わい景観整備地区」のひとつ”西京樫原“として指定されました。交差点を渡り、街道を道なりに進めば、阪急京都線の踏切があります。線路沿いに北へ向かうと阪急桂駅です。

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札の辻の石碑 蔵泉寺付近
山田岐れ付近
お酒の資料館


 


 旧宿場町「樫原(かたぎはら)」から老ノ坂(おいのさか)へ、旧山陰街道を歩いてみる
 
桂大橋畔常夜燈
風光明媚な桂界わい
  桂界わいは、平安時代の古くから風光明媚な地として知られ、桂離宮をはじめ、数多くの神社や寺院、旧跡などが点在しています。
 まずは阪急桂駅東口から桂離宮をめざします。離宮の外周を西から東へぐるりと回ると、途中に御霊(ごりょう)(下桂御霊(しもかつらごりょう))神社があります。離宮の東側には桂川。このあたりは昔、嵯峨・梅津(うめづ)と共に丹波地方から送りだされる木材の揚陸地で、桂大橋の北で楓渡(かえでのわたし)(桂ノ渡)と呼ばれた渡船もよく賑わっていたといわれています。橋の西詰めの常夜燈は川を行き来する船の安全を見守ってきた証(あかし)として、今も大切に保存されています。
 七条(しちじょう)通りを桂駅の方に向かうと、8月には六地蔵巡りで賑わう地蔵寺が見えてきます。平清盛が都の安泰を祈り、京への六つの街道の入り口に配した六地蔵のひとつです。商店街を抜け交差点を右に。十字路の角に「右 西山御坊・よし峰・大原の・岩くら」「左 むかふ町・あわふ・ながをか・やなぎ谷」と彫られた道標があります。そのまま道なりに進んで行くと、本願寺西山別院が見えてきます。
樫原旧山陰街道の風景

本陣跡も残る樫原界わい
 阪急電車の踏切りを渡り、旧山陰街道をさらに西へ樫原に向かいます。江戸時代に山陰街道の宿場町としてにぎわった名残りが、ところどころで伺えます。
 札の辻と呼ばれていた交差点付近に「勤皇家殉難之地」碑が立っていますが、ここで討たれた長州集議隊士(ちょうしゅうしゅうぎたいし)ら3人の墓が、さらに西へ進んだ竹薮のなかの共同墓地に、「維新殉難志士の墓」として寄り添うように並んでいます。
 札の辻から西へ進むと、大名が宿泊した「樫原本陣跡」(現在は玉村家)。少し旧道から離れ、樫原の奥まで散策してみることにしましょう。三叉路で左折、新山陰街道をまたいで樫原団地に向かいます。この界わいにも社寺は多く、瓦で作られた西行法師像のある無量院や立派な神輿のある三ノ宮神社、「泥棒除けの阿弥陀さま」で知られる高圓寺、そして洞雲寺や福成寺などがあります。福成寺の北、昭和42年(1967)の発掘で存在が確認された樫原廃寺跡の史跡公園は現在、子どもたちやお年よりの憩いの場として親しまれています。

旧山陰街道 沓掛付近

大枝界わいから老ノ坂
 旧道に戻り、国道9号と交わる秤谷交差点の信号を経ると、はじめての集落である中山に辿り着きます。このあたりの道沿いを注意して見ていると、細い路地への入り口付近に立つ古い石碑に気づきます。
 まずは西山浄土宗の地福寺(じふくじ)へ。本尊阿弥陀如来坐像が凛々しい表情を見せています。大枝小学校の角を右折し橋を渡って北側の三ノ宮神社に桓武天皇夫人藤原旅子(たびこ)の宇波多陵への参道があり、5分ほどで陵に至ります。
 元にもどってしばらく西進すると児子(ちご)神社、さらに西に進んで沓掛(くつかけ)に至ると右手に大枝神社の参道、すぐ先左側の道路脇には弁天水の小屋があります。その先のカーブの手前右手に桓武天皇生母高野新笠(たかのにいがさ)の大枝陵への参道が見え、7、8分ほどで陵へ登れます。その先には、かつて五関のひとつといわれた大江の関跡に、関(せき)ノ明神社があります。
 国道9号に出て亀岡方面、バス停「京都成章高校前(仏舎利塔(ぶっしゃりとう)前)」から橋を渡り、京都縦貫道をくぐって高架下を右へ、再び高架をくぐると、約10分でハイキング客でにぎわう洛西散策の森に至ります。
 国道に戻り亀岡方面への峠道にさしかかると、このあたりが今回の終着点、老ノ坂です。王朝時代にはずいぶんさびしい山だったらしく、盗賊の出没もしきりだったとか。また大江山をアジトに荒し回った酒呑(しゅてん)童子を退治する「鬼退治」の話も有名。老ノ坂トンネルの手前を左折、道なりに進んで突き当たりを左折し行き止まりまで約10分、源頼光らが帝の命を受け、酒呑童子を討伐してその首を埋めたという首塚に、首塚大明神があります。

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旧山陰街道と国道9号
(秤谷付近)
旧山陰街道塚原付近 バス停「老の坂峠」付近 石の道標